松兄のビジネスストーリー

元自衛官→農業→飲食→投資家スタート(今ここ)

不器用な人が商売してみた2年目

こんにちは!
気がつけば、4月になりまして
今年は事業形態を、ちょっとずつ変化させよう!
とか思っているので
やっぱ、バタバタしますね(汗)

ず〜っと同じ事やるのが苦手…
というか…
飽きちゃうから、困った性格です!笑

そして…
油断するとブログ書くの忘れちゃう…(滝汗)

よし…
続きを書こう!←頑張れ、俺!

え〜っと…

今でこそ、農家であり
団子屋とかしてる、わたくしですが
俗に言う「商売向き」の性格ではない!
と、自分では思います。

理由としては
企業2年目なんかは、もちろん
「販売強化」をガンガンにしないとならない時期だったのですが…

「いらっしゃいませ」
とか
「ありがとうございます」
とか

ま〜…
下手くそでした!笑

すっごいギクシャク!!
店番がほんっとに嫌で嫌で…
裏で週刊少年ジャンプ読んでましたもん!汗

売る努力しろよ!

って、話ですが…(汗)

そんな社長でした(滝汗)
普通ならダメダメですよね。笑

でも、あ〜
確かにこんな社長って、珍しいんだなぁ…
とか、ちょっと「おいしい」とか思ってしまうから
尚更、大変です!

当時は、だから
そんなんじゃダメだよ!
とか
もっとしっかりしないと!
とか

とにかく…
とにかく……
とにか〜く、先輩社長さんからとか
言われました。←そりゃ言われるやろ

でも…

じゃあ、俺はそれを
どう受け取っていたか?と言えば…

しっかりやらないとダメかぁ…
わかるけど…
わざわざしっかりやらないとダメぐらいなら
倒産してもいいや…
やる意味ない。

って感じでした。

な〜んかね…
わざわざ愛想笑いとか
わざわざ接客とか
まだ新米会社の段階で
スタート地点から、それをやるって事は
例え、軌道に乗っても
ずっと愛想笑いしなくちゃならない会社になるし
軌道に乗って、余裕が出来て
愛想笑いやめたら
「昔はそんなんじゃなかった!」
とか
「売れたら人が変わった!」
とか

あ〜…
絶対言われるな…

んー、それ
実に面倒くさい。

なら、最初から
ダラダラ行こう♪

それでダメならやる意味ないや…

って…
もちろん、企業コンサルとか
いっぱい声かかるけど
社長がこんな感じだから、みんな愛想つかしてました!汗

そうそう…
企業コンサルタントの人も
当時、何人か話したけど…

正直、なんか
ほんっとにごめんなさいなんだけど…
話が全然面白くない…

なんつーかな…
とにかく「形」をしっかり見せる?
つーか…
あ〜…こんな事を書くと怒られるけど…
見えはる方法ばかり言う…
というか…

コンサルタントの方、見てたらすみません
文句じゃないです(汗)

素直に「面白い」って思えなくて
そんなうちらに時間使わせるのも申し訳ないもんで…
全部、断りさせて頂き…

だから、まわりから見たら
すっごい意地張った農家に見えたとは思います(滝汗)

あ〜…
この頃、そうだ!
卸売業者さんとかも
接触してきて

よく言われたのが
「あなた、理想を持つのは良いけど
絶対うまくいかないよ!」
って、散々言われましたね…

絶対取り引きしなかったけど!笑

だから、ほんっとに
気分屋なんですよ…
商売向きじゃない。

なのに、続けてる…

書くと自慢話みたいになっちゃうけど
そういう意味で書きたいんじゃなくて…

ちょっと疑問に感じるのは
「ダメ」とか「しっかり」とか
一般的に言う事って…
確かに全部とは言わないけど
必ずしも、意味が当てはまるわけじゃない。
と思うというか…実感します。

具体的に、この時
色々なアドバイスを鵜呑みにして
その通りにだけやっていたら
たぶん、今の会社の色にはなっていませんし
自分自身、色々と思う事、考える事、感じる事も
全く違ったんじゃないかと…

おっと!しかしながら
それは言う事を聞くな!って意味ではなく
アドバイスはアドバイスとして
見て、聞いて
それを「自分」が活かす事。

それが何より大事なんじゃないかと。

鵜呑みにしたら、アドバイスした方も
された方も、本当の意味では
活かされきれてない。みたいな…

だって絶対な事なんて
あるかもしれないけど…
俺は知らないですもん。
絶対的には出来ても…
超絶対は今だにわからないです!笑
的止まり!

今、自己啓発とかスピリチュアルとか
何せい〜ぱいあるじゃないですか?
でも、それは
「参考」ですよ。

良い意味で信じちゃダメ。
良い意味でね!←ここ大事

だから、自分にとっての起業2年目は
何となく、何となく
今に繋がる形が自分に出来てきた頃。
だった気がします。
当時は精一杯でしたから、繋がるとかいう
感覚的余裕も無かったですけど…汗

からの、2年目
年度末決算書売り上げ150万円。

150万…
_| ̄|○

ってなるでしょ?普通!

でも、俺は…
よっしゃー!!
なんかわからんけど
150万になったー!!
と、喜んでたら

農林科に「アホだなお前は…」
と、呆れられた

起業2年目です。(滝汗)

【つづく】

販売という壁

ぬぉ〜!
今週は、あっち行ったり
こっち行ったりと
バタバタでございます!笑

先日は長野県の仲間内の所行ってました♪
南アルプス中央アルプスに挟まれた場所に
長い付き合いになる仲間がいるのですが

ずっと海沿いにいる、わたくしにとっては
久しぶりに見るアルプスは
ほんっとに美しい♪

もう、7年も動いてると
青森から沖縄まで、何かと友達も増えました。
そのうち、この辺の内容も書きますね♪

さてさて、ブログの続きですが…
え〜と、どこまで書いたっけな…(滝汗)

あ!初年度の未経験者が販売という壁にぶち当たった話です。

この「販売」
つまり、「売る」という事ですが
何でもそうかとは思いますが、知名度もない
経験もない奴が、
いきなり「販売」という行為をしたところで、
ハッキリ言って
見向きもされませんでした。笑

うちにあるアイテムは「野菜」なわけで
取り扱いしている県内の店舗に連絡しても
かなり不審がられたのを覚えてます。

怪しい奴だったと思います。笑

そして、つまり連絡するという事は
「営業」をしているという事。
これが未経験なわたしには、かなりの壁。

なんて売り込んで良いのやら…汗

しかも、ジャガイモとサツマイモ。
(´°ω°)チーン

当時は
「他に野菜ないの?」
とか
「ジャガイモかぁ…」
とか
「サツマイモかぁ…」
とか

ほんっと、そんな反応で
全部却下されました!
尽く!
連絡した関係店舗、全部ですよ!笑
まさかの全滅。

JAへの販売も、ちょっとは考えたのですが
大規模農家まで面積がない、うちの会社としては
出荷数も中途半端。

すなわち、出荷したら
手元には中途半端な収入にしかならないのは
逆算できました。

売れないより良いんじゃない?
との声もあったのですが…

なんか、そこを妥協しちゃうと
この先、何かは全部妥協になってしまうような
そんな気がして、
頑なに個人出荷の道を選択してました。

正直、何回も迷ったし
心折れかねないぐらい大変でしたけども(滝汗)

収穫は終わってるのに
全く販売先は見つからないまま
2ヶ月ぐらい経った頃…
1本の電話が。

「イベント出ませんか?」

の、誘いでした。

それも、営業した店舗の1つが
うちらの事を覚えていてくれたらしく
イベントの主催者が、
その店舗に出店者の相談をした際、
店長が思い出して、うちらを紹介してくれた
との事。

めっちゃ嬉しかったですよ!

先の見えないトンネルに、
かすかな光が見えたような…

そんな感じでした。

イベントも、もちろん初めての経験。
何を用意して良いかもわからず…
イベント当日。

商店街を使ったマルシェが
うちらの初イベント!

さぁ、やるぞー!!

って…

うちのブースに
広げられるのは、ジャガイモのみ。
(´°ω°)チーン

すっごい地味!
めっちゃ地味!!

他の農家さん見ても
トマト、パプリカ、、
かぼちゃとか…

めっちゃ華やか!!

で。

うちらの机の上、ジャガイモだけ。
(´°ω°)チーン

まぁ…
仕方ないと割り切って…
イベント開始!

売らねば!って気持ちはあるのに…
「いらっしゃいませ!」が
恥ずかしくて、上手く言えない(汗)

接客の対応用語が、すんなり出てこない!滝汗

めっちゃギクシャクしてるし
落ち着かない(汗)

そしてなんだとイベント1日目終了。
1日目の売上
たぶん、だいたい8,000円ぐらいだったかな…

この約8,000円が
なんだかこの時は
80,000円ぐらいに感じて
本当に嬉しかったのを、今でも覚えてます。

数字的には全然赤字なんですけどね(滝汗)

2日目も、確か8,000円ぐらいだったと思います。

今では日本の色々な場所で出店して
出店数も数えられないほど出てますが
それでも、この最初の出店は
鮮明に覚えてるし、めっちゃ思い入れがあります。

こうして、初イベント&初の販売が終わり。
多々、反省点もわかり…
めっちゃ多々だけど(汗)

何か自分の中で、弾けて
イベントを探しては、どんどん出店しました。

ジャガイモとサツマイモのみ。で!笑

売り上げが1日12,000ぐらいの日もあったし
逆に1日の売り上げが800円なんて数字の日もありました。
しかし、気にしていられない。

ほんっとにがむしゃらでしたよ。
この頃は…
だって、他に方法知らないし(汗)

で、野菜売りつつ
問題点を考えるわけですよ。

例えば、商店がジャガイモとか
サツマイモだと
運ぶのが重い!とか!笑

ず〜っと、こんなの販売してたら
効率悪すぎるな…
とか、何回か出店してると
やっと考えるわけで…←バカですので(汗)

次の年は、軽い野菜作ろう!
とか
色合いが良い野菜作ろう!
とか

イベント出ては
他の農家さんのブースを参考に
次の事を色々練ってました。

こうして、バタバタバタバタしているうちに
一年も過ぎて
結果、売り上げは43万。
(´°ω°)チーン

さすがに月日が経てば
ジャガイモも、サツマイモも
品質が悪くなって商品になりません。

3分の2は、廃棄しました。

売り切れなかった自分に悔しいのと
廃棄しなくちゃならない歯痒さと
1年目の後半は、さすがに凹みました。
2年目は廃棄しない!絶対に!
と、強く思いました。
当たり前だけど…

でも、無駄にならなかった事が
1つだけ。

それは
「なんか面白い農家さんがいる」
って事。

この面白いは
漫才とか、冗談とかの意味じゃなくて

「ジャガイモしかないのに
勝負してきた農家がいる」

的な、アホな農家や!
的な面白い印象になったらしく

全然知らない人が
SNSに載せてくれたり
ブログに書いてくれたり
別なイベントを紹介してくれたり…

特に狙ったわけではなく
結果、そうなった事なのですが…

ある意味、この無謀さが
印象になってくれたのは
何よりの財産でした。

そして2年目に続くわけです。
さらに続く、波乱の2年目に……

【つづく】

初めての会社設立

自立とは、意外と何して良いのか
当時は全くわからなくて

わからない中でも
とにかく動き出そうと思ってやったのが
開墾から。

畑は畑なんだけど
見た目はどこが畑かわからない状態。

草、ボーボー。(滝汗)

道具もないので
草刈機を借りて、ひたすら草刈り…
1週間ぐらい毎日草刈りしてたんじゃないかなぁ…

とにかくスタート!とにかくスタート!
みたいな感じで、ひたすらやっていたのを覚えてます。

やっと草刈りも終わって
畑のぼんやりした形にはなったけど
まだ、ただの原っぱ。

次はトラクターや…
と、またトラクターを借りまして…

ひたすらトラクター作業。
しかし、このトラクター作業、、、
やった事がなかったので、要領がわからない…
とにかく見様見真似で、ひたすら畑をぐるぐると…

何回か繰り返してるうちに
やっと畑らしい畑に!!

しかし、面積が予想以上に広い!
家庭菜園の何百倍ぐらいぐらいに見える…

正直、畑になった喜びと
こんな広大な面積…何しよ??(汗)

ってのが、当時の感想…

ちょうどこの頃、5月ぐらいだったので
とりあえず「サツマイモ」と「ジャガイモ」植えよう!

って、何の戦略があるわけでもなく
ほんっとに思いつくまま、やりました。

さて、ジャガイモの種芋と
サツマイモの苗を注文…

って、

これが、数も重なると
意外と高い!!

計算したら、サツマイモとジャガイモの準備だけで
10万ちょっと…

資金が足りない。
全然。←普通に考えると、この時点でおかしい

この頃、ほんっとに貯蓄もなく
草刈機とトラクターの燃料代払うのも、カツカツ…
みたいな。

そんな状態でやるなよ!
って話ですが

なんか…
引くに引けなくて(汗)

同時に、借り入れしないと
スタートも出来ない。
と、やっと現実的思考に…

でも悩みましたよ。

「借り入れか〜
借り入れしないとダメか〜
借り入れか〜」

みたいな!笑

ダメじゃん!みたいな!笑

この時、嫁にだけ相談して
就農に反対していた、嫁の親には内緒でいました。
むしろ言えなかった。

まともな借り入れも出来ないので
嫁のカードからギリギリの金額を借り入れ。

なんかこの時
どんどん引くに引けなくなる環境に
不安と恐怖は確かにありました。
大丈夫か?俺?
大丈夫なのか?

って。

でも、反面
やらないと、わからない。

そんな気持ちも半分…と、ちょっとあったかな。笑

なんとかジャガイモとサツマイモは
準備完了。

インターネットで、わからない事は調べて
とりあえず作付けは完了。

同時に、もう引けないので
JAに融資の相談。

段々に開き直ってきてました!
JAの金融窓口行く頃には!笑

この融資も初めてで、こんなに書類書くの!?
ってぐらい書類の山!!

農業も初めての状況で
事業計画書も書いて出さないとならない。

今思えば、当たり前の事なんですが
ほんっとに当時は何も知らず…

あ!そうそう!

この時、個人でやるか
法人会社でやるか

って選択に迫られました。

融資枠の関係で
個人だと最大1000万円で
法人だと最大5000万円ぐらいじゃなかったかなぁ…
わたしが相談した融資は…

まぁ、そこは単純でした
最大が大きい方がいい!って
単純な考えで
法人化の流れに…笑

人って、こういう時
1000万円も5000万円も
あまり変わらなく感じるものです。←俺だけかな(汗)

しかし、会社の作り方を知らないわたくしは
「定款」という物があるのも知らず…

初めて司法書士事務所へ、相談に行きました。
「定款を作りたいんですけど…」
みたいな。

で、すみません
あの〜、代金すぐに払えないんですが…
って!汗

運が良いのか悪いのか
「支払いは、あとでも良いですよ!」
の、返事に
安堵感でした。

まぁ、そんなバタバタと色々と山ほど
手続きに手続きが続きまして

やっとJAから連絡が…
↑これがダメだと全部OUT。

そんな状況でしたので
緊張しましたね!
手に汗握りました(笑)

とにかく収穫までに最低限の機械は
何とかせねば…の、気持ちの一心で。

融資はOKが出て。
ひとまず、一安心。

も、束の間

ただし、全く新規なので
法人とはいえ、1000万円が限界です。
と。

希望額3000万円で出していたので
マジかー!?
とは思いましたが

融資側に立てば、1000万円貸すのも
相当勇気がいったと思います。

いまでも、この時の担当者には
ほんっとに感謝しかありません。
まだ何も恩返しできていませんが…汗

さて!
資金は奇跡的になんとかった!
次は装備や!

と、色々と買い漁り…

あっという間に
資金は20万円ぐらいに。

1000万円が20万!?
みたいな…(滝汗)

農業機械って、、、、
高い。

当時は何も知らなくて
農機屋さんから普通に買っちゃったけど

もし、今から始める人は
とりあえず安い中古機械で始める事を
激しく薦めます。

見栄張って新品とか、全くいらない。
そして、わからないまま農機屋さん行くと
めっちゃ買わされる。
ある意味、無駄に!笑

経験ないと、鴨にされます!!←鴨です

機械は揃い…
収穫も完了…

よ〜し!売るぞー!!
の巻き返しを

この時は
簡単に考えすぎてました。

【つづく】

貯蓄0円から会社を初めてみて7年目

初めまして。

わたしは農業をしながら
移動販売形式で飲食店をやっています。

ざっくりと今までの経緯を書けば…
まず農業を始めた理由…
というか、流れは

ちょうど10年前に
関東から北陸へ引っ越してきました。

当時は自分で会社を持つ事なんて考えは全くなく。
普通に求人を探しては
会社勤めしてました。
当たり前のように。

しかし、ある時
体調を崩しまして、最初は風邪だったのですが
風邪も治りかけの頃、今度は「周期性四肢麻痺」という病気になりました。

これは、ずっと体が麻痺するわけではなく
不特定な時間に、ゆっくりと体が麻痺し
わたしの場合は症状が酷くて
寝返りも打てないほど、麻痺が出ました。

麻痺が出る時間は、自分ではわかりません。

しかし、必ず1日のどこかで
ゆっくり足が動かなくなり、次に腰
次に手、頭は動かせるのですが、逆に頭以外は
動かそうとしても、動きません。
そうなると次に体が回復するには半日以上の時間がかかりました。

半日は動けて、半日は寝たきり
そんな状態でしたので、務めていた会社も退職。

正直、引っ越してきてから
土地にも人にも慣れてない状態での、無職状態は
物凄く不安でした。

体が動けるタイミングを見て、病院へ行くと
病名は「バセドウ病甲状腺の異常。との事で
治療に3ヶ月ぐらいかかりました。

段々にですが、麻痺の出る時間も
体に出る麻痺の強さも和らいできたので
ずっと寝ているわけにもいかず、求人を探す事に。

しかし、なかなか御縁もなく
何回かハローワークに通う中で
目に付いたのが、とある米農家さん。

今、思い返せば
まだ体も完全回復してない状態で
よく農家に目がいったな…
とは思います。笑

ダメ元で連絡してみると

「1回、来てちょうだい」との事。

これまた、ダメ元で
面接も含め、これまでの事情を伝えると

「もうちょっとで治るなら、うちに来なよ」

との返事。

正直、「へ?」っと思いました。

「体が調子悪いのは、困る」

と、言われるのが落ちだと思ってましたので。苦笑

でも、嬉しかったですね。
この時、話したのは
わたしの親ぐらいの年配の社長さんなのですが
なんか…嬉しかったです。

ちょっとだけ、月日も流れ
ずいぶん麻痺も気にならなくなったので
待たせていた米農家さんへ合流。

わたしは農業経験者というほどではなく
6歳ぐらいまでは、爺ちゃんに連れられては
田んぼ仕事や、畑仕事を手伝って…
いや、手伝いと呼べるほどではないですね(笑)

田んぼ、畑で遊んで育ちました。

でも、覚えてるものですね…
久しぶりの田んぼ、畑が
物凄く懐かしくて、心地よくて。

2ヶ月もすると、田んぼも畑も
ほぼ全て任せてもらってました。

機械も段取りも。

記憶から、何か知っていたのか…
得意分野だったのか…
天才なのか…(ニヤリ)

ある時、社長(次からはオヤジさんと書きます)に
「松ちゃんは自分でやらないのか?」
と、聞かれました。

わたしは「お金もないし、設備も揃えられないから自分ではやらないッスよ!」と答えたのですが…

オヤジさんは
「アホ!お金の有る無いは関係ない。
やりたい事ってのは、やりたいからやる。
だいたい、お金は命は奪わんぞ?
やりたい事は大事にせんとな!」

まだ、その時は
「まぁ…そう言われてもなぁ…
借金とか恐いしなぁ…」
的な受け止め方しか出来なかったのですが
この言葉が、今後、自分を押す言葉になるとは
この時は思いもしませんでした。

わたしが、この農家さんに世話になりだしたのは
初夏の6月ぐらいだったのですが
月日は流れ、
米農家のビックイベント「稲刈り」も
無事終わり

出荷も落ち着いてきた頃の冬。
12月。

何日かオヤジさんは仕事に出てこない日が続きました。

ある時、しんどそうな顔のオヤジさんに
「大丈夫ッスか?どうしたんですか?」
と聞くと…

「大丈夫じゃ!」の一点張り。

オヤジさんなりに、心配かけまいと
わたしが休憩していると、隣に来ては座って
たわいもない会話をするのですが
どう見ても顔は、しんどそうだし
どっか心ここに在らず状態。

暮れの頃になると
全然、仕事場には来なくなり
奥さんから「入院したのよ」の言葉。

確かに、無理する人だし
我慢して何か悪化したんだろうなぁ…
まぁ、でも
正月明けには、復帰するだろう。

と、残された仕事を
黙々とこなす日々。

年も明け、成人式の頃。

奥さんから
「松ちゃん、ごめん
今日、朝方
社長亡くなってん。
だから仕事しばらく休んで。」
って、電話が。

一瞬、何を言われてるかわからなくて
「え?」しか返せず…

状況が飲み込めないというか…
しばらく思考停止してました。

通夜があり、葬式があり。

悲しんでもいられず…
色々とバタバタしながらも
仕事方は、従業員として回さないと
それこそオヤジさんが困るな…
との思いで
寂しい感じになった職場で
作業は続けました。

そして
春になり、田植えの準備も整った頃。

「農業で独立しないか?」
の話が
たまたま、わたしの所へ来ました。

この理由を書けば
わたしが世話になっていた米農家さんは
わたしが住む町から2つ離れた町で
当時、わたしは1時間ぐらいかけて通勤していましたが

農業独立の話は
わたしが住む町の方から出た話でした。

どうやら、農家研修している人がいる
って事で、ならば耕作放棄地の管理も頼めないか?
という流れだったらしく
わたしの所へ、農業を頼めないか?
となったのです。

わたしとしては、オヤジさんに恩もあり
オヤジさんが抜けた職場を考えると
米農家を辞める気もなく。

その話は断りました。

しばらくして、休憩時間に
何気に、そんな話があったんですよ〜
みたいな事を話していると…

奥さんが
「松ちゃん、やりなよ!それ。」
って。

意外でした。
絶対に引き止められると思っていた奥さんに
逆に薦められる事、事態が意外でした。

「いや、でも大変じゃないですか?
大丈夫ですか?」って言葉に奥さんは

「お父さんいたら、なんて言うと思う?」
って…

確かに…
「お〜!松ちゃん!やれやれ!
そういうのは、やった方がいい!」

って言うやろな…
悩み考えるなら、やりたいなら、やれ。
ってのは、オヤジさんが俺に
農業より伝えたい事だったんじゃないか?
と、この時
というか…
むしろ、それを伝えたった人だった。
しかし、そう腑に落ちる反面…

実際は、もう少し悩みました。

どっか、素直に
よ〜し!やるかー!の踏ん切りがつかなくて。

嫁の親にも
コソッと相談すると…
「農業で自立!?やっていけるのか!?
そんなんで!?」
と…

ある意味、想像通りの返答。

確かに現実的には
農業で生計立てるのは、大変。

だから担い手も減る一方だし
若手も育たない。

でも、何か…
「俺なら、この大変な農業をどう組み立てる?」
という…
チャレンジ精神というか…
何か、、、
自分を試してみたい気持ちというか…

モヤモヤモヤモヤとしながら
誤魔化すように、日々を過ごしてる中
思い出すのはオヤジさんの言葉。

「やりたい事なら、やれ」

なんか…
松ちゃん、恐がったら何も出来んぞ?
って今言われてる気がして…

今の俺を知る人は
こんなモヤモヤした経緯があったなんて
想像しないかもしれませんが
当時、自分が看板上げる前には
わたくし…
こんなにも、モジモジしてた経緯があります。

それから、気持ちを
奥さんに話して

自立するわけです。

こうして、ドタバタ劇の
農業法人「菜友館」が始まります。

それが今から7年前のお話。